閑谷学校講堂

設計(?); 津田永忠
竣工: 1701

閑谷(しずたに)学校講堂。国宝。江戸時代初期、岡山藩主池田光政は、教育を重視して、武士の子弟のための藩校(花畠教場→岡山学校)を開いた後、庶民のために手習所を開いた。津田永忠に「後世までも廃れさす事の無いようにすべし」と命じた。津田永忠は、約30年かけて、財政的な仕組みを作り、立派な建築物と石垣で閑谷学校を作り上げた。岡山県備前市までドライブして、閑谷学校を見学。犬は、石垣内には入れないので、外で待つ。均整のとれた形、磨きこまれた床板。額の「克明徳」の意味は、 「克(よ)く(つとめて)、曇りを払って、身に備わった明徳の本来の美しさを発揮しなければならない」。