青森の記憶1

青森第2岸壁に係留している青函連絡船「八甲田丸」。
可動橋と車両搬入口。かつて、人と貨物の大動脈だったことがわかる。

1954年、日本海難史上最悪の洞爺丸事故(死者行方不明者合わせて1,155名)があった。原因究明し、徹底的に安全対策を取ったため、青函連絡船の終航(1988年)まで、2度と大きな事故は発生しなかった。安全を確保するためには、多くの(悲しい)経験と知恵に基づいた対策と、それを厳格に守る人々の努力の上に有る事を理解した。
4月のセウォル号沈没事故があった。過去の大事故の状況を知ることは、万が一の際に生死を分けると思う。