お葬式

母のお通夜10/17自宅で行う。翌日10/18は、出棺・火葬、その後、照光寺光明閣でお葬式。晴れて暖かな日となった。
母は昭和4年生まれ。その年は世界恐慌が起こり日本もだんだん苦しい時代になってゆく。可愛がってもらった父親を子供時代に亡くしてしまう。戦争の前後に父の家族のほとんどが結核の犠牲になる。そこに嫁入りした母の辛さは想像に難くない。私の子供時代は日本の経済成長期であるが、家業(洋服仕立て業)は斜陽となり我が家は貧乏となった。母が内職とパート勤務をして家計を支え、兄と私の教育費(大学まで)を捻出。父は地区の区長や町の議員を務めた。父と子供たちの支えは大変だったと思う。父と兄と私は皆希望する道に進み事ができたのは母のおかげ。家庭を持った兄と私は幸せに暮らしている。ありがとう。
母は自分の事は後回しとし家族の心配ばかりする人だった。家が好きで外は苦手だったが、父が山歩きにのめりこむようになると、心配した母は、一緒なら危ない事はしないと思い同行を決めた。大変だった山歩きの事を楽しそうに話してくれた。交通事故に遭って自由に歩けなくなり、父を亡くして寂しかったが、近くに住む兄の支えがあって、最後までボケることもなく一人で頑張ったのはすごい。ご冥福を祈ります。