震災から30年

写真は、2025年1月17日に自転車で走った夕景。30年前の、1995年1月17日5時46分、強い地震で目が覚めた。
1984年の就職から、10年以上、阪神地区(尼崎の寮(1年)→西宮夙川の寮(2年)→伊丹の社宅(5年)→三田の社宅)に住んでいた。玄関ドアが開くか確認した程、強く揺れたが、特に被害は無かったので、恐らく、三田の震度は5弱程度だったのだろう。たまたま、その日は、娘の通院のために、休暇としていた。朝一番に小児科医院へ行って予約記入して、(出勤しないので)ゆったりと朝のニュースを見た。ニュースは地震報道一色であった。地震の震源は神戸だったが、当初、ニュースでは周りの地域の情報のみで、神戸の情報が無かった。だんだん深刻な事態が、明らかになって来た。JRに被害があり出勤も出来ない状況で、会社へ電話もつながらない等の情報が、社宅だったので、すぐに共有された。三田に会社の研修センターがあり、そこに行けば(専用回線のため)、職場に電話がつながった。JR(福知山線)が復旧するまでの数日間は、会社に行けなかった。何かできることは無いかと、寄付(お金や布団類)やボランティア(給水車の脇で給水支援)を行った記憶がある。当時を思い出そうと、震災時の写真を探してみたが無かった。(当時は、写真を取るのを憚ったのかもしれない)